















精神科医(認知症外来・病棟)の友人からのメッセージ勉強家で刺激しあえる親友です
認知症が進行してしまった今母が私達に伝えたかったことは何だろう… 母の認知症の介護が始まって7年目に入りました。 初期の頃は、ぼけた母が許せなくて事ある毎に 母を責めてしまいました。 お仕着せがましく世話をし、そんな自分をまた責めて、暗澹たる毎日でした。 ある時、母の気持ちに気がつきました。世話をする私達の苦労より、世話されなければ生きられない ことの辛さ。自殺をとどまった母。自殺して、己の辛さから逃げるより、残された家族の苦しみを考えた母。 その時点で、「すべての辛さを引き受けて生きること」を、選択したのだと…。 それからは、憑き物が落ちたように心が晴れ 母にとって 「いい介護」というものを考えることができる ようになりました。そうなると母の状態も落ち着いて、今では皆に愛されるかわいいおばあちゃんです。 母のおかげで、認知症の方々も それぞれ 「懸命に生きておられる」こと 感じる心は以前と変わらず 「人間としての尊厳を持ち続けておられる」こと を知ることができました。 この経験を生かして、今年から認知症外来と病棟で勤務中です。 今、65才以上では、5〜7%、85才以上になると25%が認知症状をきたす、と言われています。 認知症にならない手立てより自分もいずれは、認知症になるかもしれないと予測して、その時の対処を 学べば 「老いることの恐怖も薄らぎ、今を楽しく生きられる」と思います。 認知症が進行してしまった今、母が私達に伝えたかったことは何だろう…と時々思います。 現在もある程度の会話はできますが、母の「私たちへの想い」を知ることはできません。 そうなった時、私は子供達に何を伝えたいのだろう。「遺箱」の話を聞いて一番に思ったのは、これでした 。 頼りになる大切な先輩からのメッセージ 愛の根源まで考えてしまう・・・そんな箱になるのかなぁ 人が死ぬということは、本人よりも残された人の心の傷の方が大きい。
何故なら、本人は死んでしまえば、もう思い出すことも悩むこともできない。残った人はそうはいかない。 愛すれば愛するほど、その人はもうここには居ないんだと納得しなければ、その死から立ち直れない。 自分の死を愛した人に納得させてやるのは、死んでいく人がやらねばならない気遣いである。 その時にこの箱は、その小道具として力を発揮する。 死ぬ恐怖というのは、自分が存在しなくなる恐怖より、残した人がどんなに悲しむかを想うからかも知れない 私の場合、両親は逝ったから一番悲しむ人のことはもう想わなくてよい。その分随分と楽だ。 両親の愛は無償の愛だったなぁ。私が愛さなくても愛してくれた。家族はどうなんだろう。そして友人は。 この箱が手元にあって、誰かに当ててメッセージをと言われると、愛の根源まで考えてしまう。 「遺箱」はそんな箱になるのかなぁ。 |
|---|